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2025.09.25お知らせ
「寺院経営」と聞くと、どこか悠然と構えたイメージを持たれる方も多いかもしれませんが、現実は地道な挑戦の連続です。地域住民を始めとした多くの人と接点を生み、信頼を育て、そして縁を繋ぐための工夫が求められます。
天明寺でも、経営の再建にあたって数々の取り組みを行ってきました。今回は、「地域に根ざしたイベント」や「YouTube運営による地域を超える繋がり設計」について紹介します。
伝統を守りながら地域と文化を編み直してきた施策には、個人商店や中小企業の経営にも通ずるヒントが詰まっているかもしれません。
地域の特産物を生かした「漬物マーケティング」

さて、まずは天明寺のユニークな取り組みの一つ、地域特産品を活用した「白菜の漬物マーケティング」についてご紹介しましょう。
天明寺では法事や行事で来られた檀家さんに、お土産として白菜と大根の漬物を手渡しています。この漬物は寺院内でも販売されており、「お参りよりも先に漬物!」と楽しみにする声が上がるほどの人気ぶりです。7年前に始まったこの取り組みは、今や年に一度開催される「白菜加持法要」と合わせて地域の名物行事として定着しつつあります。
白菜は地域の特産品であり、かつては各家庭で自家製の漬物が作られるほど身近な存在でした。天明寺はこの文化に寄り添い、白菜をテーマにしたキャラクターやお守りを制作。「天明寺といえば白菜」というイメージを確立しました。
とはいえ、高原野菜である白菜は夏場になると流通が落ちます。そこで、「一年中販売できる形はないか」と長らく模索していました。そんな中、高崎駅で偶然見つけた白菜漬けと運命の出会いを果たします。
その白菜漬けは驚くほど懐かしく、子どもの頃から慣れ親しんだ味とまったく同じだったのです。まさに探し求めていた味。すぐ、製造元である針塚農産さんに連絡を取り、取引を開始することになりました。
さらに、天明寺に祀られる聖天さま(歓喜天)が大根を持つ姿で知られることから、縁結びの象徴である大根の漬物も取り扱うようになりました。白菜との相性も良く、参拝者の記憶にも残りやすい取り組みとなりました。
白菜と大根の漬物を中心に、さらに甘酒も取り入れることで、参拝の導線と地元食文化が自然に結びつく形が整いました。お参りの後に漬物や甘酒を手にする。その小さな体験の積み重ねが天明寺を身近に感じていただけるきっかけになっています。
「白菜加持」は実家への帰省から生まれた

白菜加持法要の着想は、住職が学生時代に手伝っていた神奈川県横須賀市の長光寺で行われていた「大根加持法要」にあります。
護摩壇の前には山のように積まれた大根。その大根を供えて護摩を焚き、祈願を込めたあと、護摩祈祷済みの「ご利益大根」として参拝者に授与するのです。さらに境内では大根の煮物がふるまわれ、まさに地域の特産「三浦大根」という食文化と、真言宗の護摩修法が見事に一体となった行事でした。
毎年5月の第二日曜日に行われるこの法要に、私も僧侶の一人として加わりながら、「いつか自分の寺でも、こんな風に地域の食と祈りを結び合わせられたら」と思うようになりました。
そんなことを考えていたある日、久しぶりに実家に帰省したときのこと。庭先に、真っ白な白菜が山積みにされているのを見つけました。思わず「この白菜どうしたの?」と尋ねると、親戚の白菜農家が毎年お歳暮代わりに届けてくれるのだと聞かされました。
その瞬間、幼い頃の記憶が鮮やかに蘇ったのです。実家の寺には、近所の農家さんたちがよく収穫した白菜を持ってきてくれていました。あの懐かしい情景が重なり、心の中でひらめきました。
「これだ!天明寺は白菜加持をやろう」
そうひらめいた私は、長光寺の住職に「いつか自分の地元で、白菜を使った加持法要をやりたい」と相談してみました。すると住職はにっこり笑って、「それは面白いじゃないか。ぜひやってみなさい」と力強く背中を押してくださいました。この一言が、後に「白菜加持法要」として天明寺に根づいていく大きなきっかけとなったのです。
人の心を動かす“giveの精神”
少し話は逸れますが、多くのお寺では、住職が檀家さんから何かをいただく場面が多いのではないでしょうか。けれど、人は「もらったら返したくなる」もの。人の心を動かすには、まず自分から差し出すこと、いわゆる“giveの精神”が大切だと私は考えています。
そこで天明寺の白菜加持では、初回から300個を超える白菜を用意し、来場者に無料で配布しました。山のように積み上げられた白菜を前に 無病息災や家内安全、諸願成就を祈願します。真っ赤に燃える護摩の炎に照らされながら、境内には大地の恵みである白菜がずらりと並び、まさに「信仰と季節の恵み」が一体となった光景が広がります。

「火渡り」という非日常体験が人の心を揺さぶり、祈りを深める
護摩の後には、参拝者が炭や灰の上を素足で歩く「火渡り」が行われます。燃え残る熱気の上を一歩一歩踏みしめながら、「病気や災いを焼き尽くす」という願いを込めて進む姿は圧巻です。参加者は緊張した表情で歩き始め、歩き終えた瞬間には安堵と喜びの笑顔に変わります。その表情を見るたびに、「非日常の体験が人の心を揺さぶり、祈りをより深めるのだ」と感じさせられます。
実を言えば、白菜加持法要の開始当初は完全な赤字運営でした。しかし「こんな行事は初めてだ!」と話題を呼び、口コミや新聞記事を通して少しずつ広がっていきました。今では毎年多くの来場者で賑わう天明寺を代表する行事へと成長しています。この行事を機に檀家さんとの接点が増えたことで、「お寺は法事や葬儀だけの場ではない」という認識も浸透し、信頼関係が深まったと実感しています。
特に印象的だったのは、ある高齢の檀家さんの言葉です。白菜を手にしてにこやかに、「お寺さんから白菜をいただけるなんて、縁起が良くて本当に嬉しいですね」とおっしゃっていました。その笑顔を見た瞬間、「この取り組みは間違っていなかった」と心から思えました。
コロナ禍に誕生した公式キャラクター「白菜不動くん」が寺院経営を救った
最盛期には500個の白菜を用意してもすべて捌けるほどの盛況ぶりで、今や天明寺を代表する行事の一つに育っています。ところが新型コロナウイルスの影響により、従来のように白菜を直接参拝者へ手渡すことが叶わなくなってしまいました。そこで考案したのが、「白菜不動くん」という張り子の人形(1,500円)です。
群馬県高崎市といえば高崎ダルマで有名な土地柄です。近年は変わり種のダルマも数多く登場しており、製造者によってはダルマ以外の張り子人形も手掛けられるようになっています。この地域の文化と技術を活かして、天明寺では公式キャラクターとして活用していた白菜不動くんを張り子の人形に仕立て、販売を始めました。
私はこの白菜不動くんに、ダルマと同じような役割を持たせたいと考えました。人形の足の裏には一年の願い事を書き、自宅に保管していただきます。身代わりの意味も込められており、翌年の白菜加持法要に参拝した際に自宅で安置していた白菜不動くんをお焚き上げし、代わりに新しい白菜不動くんを迎える。そんなサイクルを作り上げたのです。
さらに2024年からは、小さなサイズの白菜不動くんも制作しました。全部で6色展開(白・赤・黄・緑・黒・青)で、毎年1色ずつ、白菜加持法要の参加者に配布しています。火渡りに参加された方には特に小サイズをお渡ししています。もちろん購入もできますが、無料で全色を揃えるには6年間通い続けなければならない仕組みになっています。実はこの方法、来場者数を把握するうえでも役立っているのです(笑)。
コロナや野菜不足といった事情により、現在は「白菜不動くん購入者限定で白菜を配布する」という運用に変更しました。それでも護摩焚きで祈願された“ご利益白菜”を求めて人形を買い求める方は後を絶ちません。
中には「大ぶりで甘くてみずみずしい白菜の味が忘れられない」と、白菜を購入する目的で大サイズの白菜不動くんを買い求める方もいるほどです。
年間1万円で利用できる「遺骨一時預かりサービス」を展開
現代社会では「お墓の継承が難しい」「埋葬の方法に迷う」といった悩みを抱える方が増えています。ここでは、天明寺がこうした現代のニーズにどのように応えているのか、「年間1万円の遺骨お預かりサービス」を中心にお話します。
新しいお墓の建立や合祀、永代供養、樹木葬など選択肢は広がっていますが、どれを選ぶべきかすぐには決められないのが現実です。
そこで私は「一旦お骨をお預かりしますので、その間にゆっくり考えてみてください」と提案しました。具体的には「1年間1万円でお預かりする」というシンプルな仕組みです。
この一時預かりサービスは天明寺へ足を運ぶ機会を増やし、地域とのつながりを深めるきっかけにもなります。参拝のついでに近隣のスーパーや飲食店に立ち寄る方もおり、地域全体との関係性も広がっていきます。
その結果、「天明寺に来やすくなった」「いっそお墓を建てたいと思うようになった」といった声も聞かれるようになりました。つまり、お骨のお預かりは顧客接点の入口にすぎず、その後の信仰や暮らしとのつながりを広げる大切なきっかけとなるのです。
檀家の声から始まった永代供養が「三つの堂」に拡大

さて、この遺骨預かりサービスが永代供養へと発展した具体的なきっかけについても触れておきましょう。
永代供養を始めたのは、ある檀家さんの「遺骨を預かってほしい」という切実な声がきっかけでした。近隣のお寺の檀家さんが遺骨を抱えたまま天明寺を訪れ、「永代供養をお願いしたが、菩提寺に断られてしまった」と涙ながらに訴えられたのです。
当時の天明寺本堂は平成元年建立で、広さは3間四方(約5.4メートル四方)、畳にして15畳ほどの小さなお堂でした。当然、遺骨を安置するスペースなどありません。しかし、本尊を安置している棚の下が空いていることに気づき、そこに小さな納骨スペースを作りました。
やがて「永代供養してほしい」という要望も増え、さらに「永代供養してほしい」という要望まで出るようになりました。境内では分譲墓地も用意していましたが、実際には「墓石を建てたい」という人よりも「遺骨を納める場所がなく困っている」という人の方が多いのだと実感しました。
そこで平成19年、天明寺では初めての永代供養堂を建立しました。当初は「そこまで利用者はいないだろう」と考えていましたが、群馬県内では永代供養堂を完備した寺院が少なかったこと、またホームページで情報を公開していたこともあり、利用者は予想を超えて増えていきました。
さらに遺骨の一時預かりの要望も増え、仮安置していたスペースもすぐに限界に達します。そこで専用のお堂を新築し、「永代供養」と「一時預かり」を分離しました。それでも需要は収まらず、結果として3つの永代供養堂を建てる規模にまで発展したのです。
人の気持ちは変わるもの。寺院に求められるのは変化を前提とした仕組み
人の気持ちや考え方は、年齢や生活環境によって変化するものです。これはまさにお釈迦さまが説かれた「諸行無常」の姿そのもの。変化を前提に柔軟に対応できる仕組みを備えることこそ、現代の寺院の役割だと私は考えています。
例えば、お墓がほしいけれど経済的に厳しい方、どこにお墓を建てるか迷っている方、家族や親族で意見がまとまらない方などそうした「先の見通しが立たない人」には、遺骨の一時預かりサービスは役立ちます。
あるご家族は「すぐに墓を建てる余裕がない」として一時預かりを選ばれました。しかし、一年を通じて何度もお参りを重ねるうちに寺との距離が縮まり、「ここなら安心して任せられる」と感じられたのか、最終的には永代供養を選択されました。
また別の方は、ペットのお骨と一緒に納められる点に惹かれ、一時預かりから樹木自然葬へと進まれました。「家族みんなで同じ場所に眠れるのはありがたい」と、涙ながらにおっしゃっていたのが印象的です。
このように、遺骨の一時預かりサービスは“終着点”ではなく、未来の選択肢へ自然につながる導線として機能しているのです。
永代供養以外の「納骨の選択肢」を提案

天明寺では永代供養、一時預かりサービス以外にも多様な納骨の選択肢を用意しています。例えば、以下のような方法です。
合祀(ごうし) … 他の故人と一緒に一箇所に埋葬する方法。費用は6万円と比較的安価。ただし、一度納めると取り出せないデメリットがあります。最近では葬儀業者や自治体、弁護士を通じて遺骨が持ち込まれることも増えています。
樹木自然葬 … A4サイズ程度の区画を1mほど掘り、個別に安置する方法。1人目が24.5万円、2人目が9.5万円。合祀より高額ですが、家族だけで合掌できること、またペットと一緒に納骨できる仕組みを整えたことで人気が高まりました。特に、樹木葬は造成当初、運営資金から持ち出して整備しましたが、分譲開始と同時に約80区画が即完売するほどの人気を集めました。その後も拡張を重ね、永代供養堂の移設や新築と合わせて整備を進めていきました。
この際に採用したのが、住宅業界でよく用いられる「マンションモデルルーム方式」です。完成前の区画でも、最初の樹木自然葬を実際に見せて「これと同じものができます」と説明し、先行予約を募りました。その予約金を造成費に充てることで、キャッシュフローを確保しつつ計画的に整備を進めることができたのです。
「YouTube運営」という最強のマーケティング
さて、天明寺が地域との繋がりだけでなく、地域を超えた広がりを実現している要因として、外せないのが「YouTube運営」です。天明寺では現在、インスタグラムやX(旧Twitter)、そしてYouTubeを中心に情報発信を行っています。その中でも最も大きな成果を上げているのがYouTubeです。
ここでは、天明寺の公式発信「天明寺《てんみょうじ》」と、私自身が住職として展開している「丸儲け住職 -ブッダの教えで人生好転-」としての発信、この2つのYouTubeチャンネルについてお伝えします。
YouTube発信を始めたきっかけは、新型コロナウイルスの蔓延でした。海外や県外に住んでいて、天明寺での法事や行事に直接参列できない方のために「限定配信」という形でスタートしたのです。
その後、行事の配信を重ねるうちに、朝の護摩供の定期配信や週1回の法話配信など、定期的な発信を行う体制が整っていきました。しかし、次第に「発信内容のアイデアが枯渇する」「クオリティに限界を感じる」といった課題が出てきました。
そこで思い切ってYouTube制作会社に依頼し、専門的なサポートを受けることにしました。これが現在の「丸儲け住職ベンモウ」のチャンネルです。2024年3月に本格的に運用を開始しましたが、当初は登録者が全く伸びず、二度にわたり内容やチャンネル構成の大幅な見直しを行いました。
現在は「スピリチュアル」な関心に寄り添いながらも、仏教・お寺・神社・葬儀・法事といった、日本人が知りたいけれど明確に答えを得にくいテーマを、住職としての視点から発信しています。
制作会社の適切な指導のもと、アシスタントやスタッフと何度も打ち合わせを重ね、動画の方向性や内容を調整してきました。その積み重ねの結果、2025年9月現在、チャンネル登録者は8万人を突破。かつての停滞が嘘のように、多くの方に支持いただけるチャンネルに育ったのです。
当初はSNSを駆使してイベント告知や情報発信を工夫していました。しかし、その中でも「YouTube」は群を抜いて反響を得ることができました。寺院運営に関する紹介、人生相談、護摩焚きのLIVE配信など、多様なコンテンツを公開することで、多くの方に関心を持っていただけるようになったのです。
最近では「YouTubeを見て来ました」と天明寺にお参りされる方が急増しています。お寺というのは一般的に「敷居が高い」と思われがちです。「どんなお寺なんだろう?」「どんな住職なんだろう?」「檀家じゃないと行けないのでは?」そんな疑問や不安を払拭できるのがYouTubeの強みです。
動画を通して情報を公開することで、透明性と親しみやすさを感じてもらえます。そして一度でも足を運んでいただければ、天明寺の雰囲気や対応に高い満足度を得ていただけるのです。
YouTube発信を機に「この住職なら任せられる」と信頼が生まれた

YouTubeを通じた発信の積み重ねにより、今では全国から葬儀や戒名、オンライン水子供養、LIVE配信でのご祈願といった依頼が寄せられるようになりました。
YouTubeの最大の強みは、地域という垣根を超えられることです。もはや「近所だからお願いする」時代ではなく、「動画で顔を見て安心できたから」「この住職になら任せられる」と信頼して選ばれる時代に入ったのです。
これは葬式や法事においても同様で、接点のない近所のお寺よりも、YouTubeで知った天明寺を選んでいただける。ある意味で、寺院がEC事業に進出した成功例とも言えるでしょう。
現在建設中の「まんだらホール」についても、ブログやホームページ、そしてYouTubeなどでも進捗状況を公開しています。特に「借金しました」と正直に発言した際には、多くの反響をいただきました(笑)。
お布施や寄付の使い道を公開することで「このお寺は信頼できる」と感じていただき、応援や支援につながっていく。YouTubeは、単なる宣伝ツールに留まらず、運営の透明性を示し、支援者との強固な関係性を築く場となっているのです。
YouTubeを通じた情報発信は、初めてお寺に触れる新しい人たちに届くだけでなく、古くから天明寺とご縁のある檀信徒さんにも大きな変化をもたらしました。
- 住職の法話をYouTubeで見て安心した
- 法要の様子を映像で見られるので、行けなくてもつながっている気がする
- 普段は遠慮して聞けなかったことも、動画で分かりやすく説明してくれるからありがたい
こうした声が寄せられるようになりました。
特に法事や行事のたびに「お寺に足を運べないことへの後ろめたさ」を感じていた方々にとって、YouTubeは心の距離を縮める大きな役割を果たしています。「自分の寺の住職がこんなふうに日常的に発信している」と知ることで、檀信徒さんはより身近に天明寺を感じ、信頼感が強まっていくのです。
YouTube発信が担う3つの役割
若い世代にとってもYouTubeは「親世代や祖父母世代が大切にしてきたお寺」と自分たちの暮らしをつなぐ架け橋になっています。動画をきっかけに家族で話題にしたり、「次は一緒に行ってみようか」と実際の参拝につながるケースも増えてきました。
YouTubeは、単なる宣伝や広報のツールではありません。
- 新しい参拝者にとっては「敷居を下げる入口」
- 全国の方にとっては「地域を超える接点」
- 檀信徒さんにとっては「つながりを深める架け橋」
こうした3つの役割を果たすことで、お寺と人々の信頼関係をより強く、より広く築いていくことができるのです。
一人の声を拾って形にする「ゴキブリ理論マーケティング」が全体の満足度を生む

さて、最後に天明寺の経営哲学をお話しします。
よく「お寺の運営は信仰心で成り立っています!」「地域の歴史や文化財があります!」といった言葉を聞きますが、それだけで人々の信仰心が自然に高まったり、人が自動的に集まってくるわけではありません。
本当に大切なのは、“満足度”です。
一言でまとめれば、檀信徒やお参りに来られる方の満足度をいかに上げるか。これに尽きます。たった一人でも「こうしてほしい」「こうした方が良い」と声を上げてくださる方がいたなら、その声は必ず大切にすべきです。
ここで例えるなら“ゴキブリ理論マーケティング”です。家の中でゴキブリを一匹見つけたら、それは氷山の一角。実際にはもっとたくさん潜んでいると言われますよね。お寺の要望も同じで、一人が声を出したのなら、同じように感じている人が“うじゃうじゃ”いるのです(笑)。
実際に天明寺でも、たった一人の方から「遺骨を一時的に預かってほしい」という相談を受けました。最初は個別の対応でしたが、やがて仕組みとして整備していくと、次第に同じ要望が寄せられるようになり、そこから永代供養や樹木葬といった新しい取り組みへとつながりました。
つまり、一人の声を形にすることで、背後に潜んでいた多くの人々の潜在的ニーズをすくい上げることができたのです。逆にもしその声を無視していたらどうなっていたでしょうか。「そんなことはできません」と冷たく突っぱねていたら、その方はがっかりして二度と相談に来なくなったかもしれません。
寺院運営とは「信仰と制度」だけで成り立たない

もし一人の声をないがしろにしたら、口コミで「あのお寺は頼りにならない」と広まってしまう恐れもあります。檀家さんにとってお寺は“最後の拠り所”です。そこで背を向けられたら、その人だけでなく、同じ思いを抱いていた他の多くの方々の信頼までも失ってしまうのです。
だからこそ、寺院の運営においてコミュニケーションの根幹は“人との対話”です。檀家さんの家を訪ねたり、時には電話をかけたり、悩み相談に耳を傾けたりといった地道なサポートは欠かせません。
相談を受けたときも「そのような対応は不可能です」「そういった優遇措置はありません」と無下に断るのではなく、一緒に代替案を探す姿勢が相手の心を打つのです。一人の声の背後には、同じ悩みや願いを抱える多くの人々が存在しています。その存在を想像し、親身に寄り添う姿勢を忘れてはいけません。
結局のところ、寺院運営とは「信仰と制度」だけで成り立つのではなく、一人ひとりとの真摯な対話の積み重ねによって支えられているのだと、私は強く感じています。