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2026.01.07お知らせ
前編では、利益優先の葬儀社が請求額を増やすために用いる悪質な手口を解説しました。これは現場で実際に繰り返し起きている典型的なパターンを整理したものです。
後編では実際に私が体験した苦い葬儀の経験と、悪質な葬儀社につけこまれないために施主さんにお願いしたいことや、地域のつながりを再生するために天明寺が取り組んでいることをお伝えします。
個別の体験と、そこから見えてきた構造の両方をお話しします。
目次
- 実際にあった、とても苦い葬儀の話
- きっかけは、ある石屋さんからの一件の電話
- 四十九日で判明した大問題
- 悪質ビジネスで学んだ「ビジネスの本質」
- 施主さんにお願いしたいこと
- おかしいと思ったら遠慮せず確認する
- 「住職は怖い」という思い込みを捨てる
- 普段からお寺に足を運んでみる
- お寺側の課題
- いつでも相談に乗りますという姿勢を見せる
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実際にあった、とても苦い葬儀の話

ここでは、実際に私が経験した、とても苦い葬儀の一件をお話しします。これは決して特殊な事例ではなく、仕組みとして誰にでも起こり得る話です。
表面だけ見れば「無事に終わった葬儀」ですが、裏側では、石屋さん・葬儀社・菩提寺・施主さん、それぞれの関係がねじれてしまう仕掛けが、誰にも気づかれないまま静かに動いていました。誰か一人が悪いというより、構造そのものがねじれていたのだと思います。
きっかけは、ある石屋さんからの一件の電話

ある日、面識のない石屋さんから葬儀の依頼が入りました。通常、お寺に直接依頼が来る形とは少し違う始まり方でした。
「◯◯さんのお宅で、お葬式をお願いしたいんです」
事情を聞くと、「菩提寺はあるが、葬儀の日程が合わず断られた」「石屋さんが葬儀社を紹介し、段取りをしている」「戒名はすでについているので、そのまま葬儀をお願いしたい」とのことでした。
その石屋さんから渡されたお布施は3万円でした。
「石屋さんからの依頼だし、困っているお宅だろう」と思い、私は深く考えずにお引き受けしました。今振り返れば、ここが最初の分かれ道だったと思います。
実際に葬儀に伺ってみると、そこにはすでに戒名が書かれていました。「院号○○居士」という、とても位の高い戒名です。
一般の方には分かりにくいかもしれませんが、院号のついた「○○院△△居士」という形式の戒名は、数十万円、場合によっては100万円以上のお布施が納められることもある、かなり格式の高いものです。
ところが、このとき私が受け取っていたお布施は3万円でした。はっきりとした違和感を覚えましたが、その場では葬儀を滞りなく進めることを優先しました。参列者も集まり、時間も決まっていたため、その場で確認する余地がなかったのです。
四十九日で判明した大問題

問題が発覚したのは、後日の四十九日法要で、そのお宅を再び訪れたときです。葬儀当日の慌ただしさとは違い、ようやく落ち着いて話ができる状況でした。
施主さんとお話する中で、次のような事実が少しずつ見えてきました。
- 本来は、その菩提寺の住職に葬儀をお願いしたかった
- しかし、「日程が合わない」と菩提寺側に断られたと聞かされていた
- そこに石屋さんが入り「うちで段取りします」と葬儀を取り仕切った
- 施主さんは「戒名は菩提寺のご住職がつけた」と信じていた
- ご住職が来られないから、同じ宗派の天明寺(つまり私)が代わりに来た」と説明されていた
そして施主さんは、ごく自然な口調でこう言いました。
「葬儀のとき、15万円のお布施を石屋さんにお渡ししたんです。それがそのまま、天明寺さんに届いていると思っていました」
私は言葉を失いました。施主さんは確かに15万円を納めたと思っている。しかし私の手元に届いたのは3万円。差額の12万円はどこへ消えたのか、その時点ではまったく分かりませんでした。
後日、石屋さんの話を聞いていくと、さらに問題が見えてきます。なんと戒名「院号居士」は、石屋さんが勝手につけたものでした。
仕事柄、いろいろな墓石の戒名を見ており、その中からそれらしいものを参考にした、という説明でした。
さらに、葬儀社は石屋さんから施主を紹介され、葬儀代の一部を紹介料として石屋さんに渡していたという話も出てきました。

今回のケースをまとめると、下記のようにかなりねじれた構造になっていました。
- 菩提寺の許可なく戒名が勝手に決められ、お布施15万円のうち、天明寺が受け取ったのは3万円
- 施主さんは「お寺に15万円納めた」と信じている
この一件について、施主さんは真実を知らされていません。菩提寺は「断った住職」「戒名だけつけた人」と誤解されています。その結果、私は適当に派遣された坊さんだと見られる可能性があります。
葬儀社も裏で何が起きているか把握しておらず、石屋さんだけが紹介料や差額の恩恵を受けたかたちになっていました。
一見、葬儀は円満に終わったように見えましたが、実際には「施主と菩提寺の関係」「葬儀社と菩提寺の関係」両方を悪化させ、長い目で見れば誰も得をしない葬儀になってしまったのです。
悪質ビジネスで学んだ「ビジネスの本質」

この一件を経て「もっと早い段階で違和感を確認すべきだった」「菩提寺があると聞いた時点で、一度連絡を取るべきだった」「施主さんに直接、事情を確認できていたら違ったかもしれない」といった反省があります。
一方、この経験のおかげで「お寺=お金」「住職=横柄」というイメージが業者にとって利用しやすい材料になっていること、そのイメージが一部の寺の対応によって助長されていること、そして気づかないうちに、供養の本質がビジネスの都合に振り回されていることについて学ぶことができました。
施主さんにお願いしたいこと

今回のようなことを防ぐために、施主さんにお願いしたいことをまとめます。
おかしいと思ったら遠慮せず確認する
業者とのやり取りでは、「戒名をつけたのは誰なのか」「お布施はいくら、誰に渡るのか」を確認することが重要です。菩提寺があるなら、わからないことは一度、菩提寺に相談するとよいでしょう。
また、悪質な業者の話をうのみにしないために、相見積もりを取るのもおすすめです。
身近な人が亡くなると慌てて1社への相談で決めてしまいがちですが、相見積もりを取れば、不当に高い金額での発注を回避しやすくなります。
私の知っているケースでは、警察に相談した施主さんもいます。警察が親切な葬儀会社を紹介してくれて、無駄に高いお金を払わずに済んだそうです
「住職は怖い」という思い込みを捨てる
「住職は気難しそう」「金額を聞いたら嫌な顔をされそう」といった偏見を抱いていると、業者に利用されやすくなることもあります。
多くの住職は、施主さんの困りごとに快く対応してくれるはずです。試しに相談してみて、話しづらかったら別のお寺を探せばいいぐらいの気持ちで、気軽にコミュニケーションをとってみましょう。
普段からお寺に足を運んでみる
今でこそ、葬儀業者の影響でお寺と住民の皆さまの関係が希薄になってしまいましたが、かつては寺院が「くらしの相談の窓口」でした。
困ったことがあれば、相談していい場所なのです。いざというときに相談できるように、身近なお寺の行事などに参加してみるのも一つだと思います。
お寺側の課題

ここまでは檀家さんや施主さんからのお寺に対する付き合い方です。逆にお寺側は檀家さんや施主さんにどう接することがよいのでしょうか。
いつでも相談に乗りますという姿勢を見せる
どうしてもお寺は依頼させる側、檀家さんは依頼をする側といった構図になってしまいがちです。
しかし、お寺と檀家さんは対等な関係でなくてはなりません。お寺が困っていれば助ける、檀家さんが困っていれば助ける、互いに補い合える関係があればよいのです。
住職の態度をあらためるべき
突然お寺にやってくる、忙しい時に法事や葬儀を依頼される、こういったことは多々あります。これはお寺の仕組みそのものにも問題があります。
住職の予定を常時伝えるわけにはいきませんが、住職や住職の家族以外にコミュニケーションをとれる体制を取っておくべきです。
お寺によっては総代や世話人と呼ばれる方が住職と檀家さんとの橋渡しをしてくれているところもあります。こういった関係性はつなぎ役として機能しています。
住職の大まかな予定を知りつつも、檀家さんの要望を聞き取れる仕組みがあれば、住職の顔色に遠慮しなくてもよい関係になります。
お寺の敷居を低くすること
デーンと構えたお寺に入っていくのが何となく怖いと感じる方もおりますね。普段から足を運べる関係が構築できていないと、足が遠のいても当然と言えます。
現代では、家族で楽しめるようなイベントなどを通じてコミュニケーションをとることが求められるようになってきました。一緒に楽しみ、一緒に笑い合い、気持ちを共有できる関係性があれば、いざというときに頼めることにもつながります。
天明寺がなぜ、檀信徒が集えるコミュニティを作ったのか

最後に、このような葬儀業界で起きている問題点を踏まえて、現在天明寺が進めている「まんだらホール」建立の取り組みについてお話しさせてください。
今回のような“ねじれた構造”が生まれてしまう背景には、施主さんが本来相談できる場所や、地域のつながりが薄れてしまった現実があります。私はそこに、寺院がもう一度果たすべき役割があると感じています。
この場所を建設する目的を問われた際、私は「お寺が本来果たすべき役割を、これからの時代に合わせた形で広げるため」と答えています。ここで強調したいのは、まんだらホールは“葬儀を行うための建物”ではないということです。
むしろその逆で、葬儀という出来事が起きる“ずっと前”から、人と人とがつながり、関係を育て、安心して相談できる場をつくるための場所です

法事や葬儀を行うことも可能ですが、それは目的ではなく結果にすぎません。火渡りなどの大行事で数百人が集まる際の収容力の問題、水回り・休憩所・避難所といった現実的な機能も含めて、日常と非常時の両方を支える「地域の器」をつくることが本来の狙いです。
古来、お寺は地域のコミュニティの中心でした。人が自然に集い、顔を合わせ、雑談をし、悩みがあれば相談する。
そうした日常の積み重ねがあってこそ、いざという時に誰に相談すればよいかが分かる。その土台を現代に合った形で整え直すことが、「まんだらホール」の真の目的です。したがって、この建設は決して天明寺が葬儀ビジネスに参入することを目的としていません。

むしろ私は、お寺が「葬儀や法事の場所」とだけ見られるようになってしまった現状そのものを、変えたいと思っています。「餅は餅屋」という言葉通り、葬儀の運営はあくまで葬儀社の専門領域です。
私は、葬儀の本質は、故人を想い、家族に寄り添う心だと考えています。その心は、料金表やパッケージの中で生まれるものではなく、日頃の関係性と信頼の中からしか育ちません。
その心を守るために、私はこれからも地域のご縁を大切にしながら、真心ある供養を続けていきます。
そして私はこの場所を通じて、お寺と施主様、そして施主様を思って尽力される地域の葬儀社さんが、「仕事の関係」ではなく「信頼の関係」としてつながり合える場を作りたいと考えています。
誰かが上に立つのでも、誰かが搾取するのでもなく、互いに顔の見える関係で支え合う構造を、地域に残したいのです。
その意味で、まんだらホールは、葬儀や法事をするための建物ではありません。檀家さんや信者さんをはじめ、地域の多くの方が集い、学び、語り、笑い、悩みを分かち合うための場所です。
相談会、法話会、終活の勉強会、写経会、子ども向けの行事、地域の防災の話し合い。そうした「生きている人の時間」が流れる場所であることを、私は何よりも大切にしています。
葬儀は、その延長線上にある最後の節目にすぎません。だからこそ私は、葬儀のための場所ではなく、生きている人がつながるための場所として、まんだらホールを建てています。