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2026.03.03お知らせ
「こんなさびれた寺の住職なんて食えないから、やめたほうがいいよ!」
これは、私が天明寺の住職となった2004年、檀家さんにかけられた言葉です。実際、当時の天明寺は廃寺に近い状態でした。
それでも天明寺は、いまでは檀信徒数が3000件を超えるなど、再建に至りました。ここに至るまでには数えきれない出来事がありましたが、本記事では、私が住職になった“初期”の出来事に絞ってお話しします。
何もない状態で、できることはあるのか。どこに可能性を見出すのか──。起業や新しい挑戦の過程で、悩みや迷いを抱えている方のヒントになれば幸いです。
目次
- 「これ以上悪くならない」が、チャレンジを生んだ
- 稲盛和夫さんの「利他」の考えは、仏教と親和性が高い
- 活路は、“すでにあった関係性”の中にあった
- “できていない当たり前”を、当たり前にやる
「これ以上悪くならない」が、チャレンジを生んだ

私が住職になった2004年の天明寺が、どれほど“何もなかったか”。
まず、引き継いだ通帳。残高は8千円しかありませんでした。そして、住職になった最初の年の年商は、たったの10万円。手元に入るお金もごくわずかで、経営はギリギリでした。
住む場所にも困りました。多くの住職はお寺で生活しますが、天明寺ではそれすらできません。
お風呂がなく、トイレは汲み取り式。臭いが建物内にこもってしまう状況で、当面は実家から天明寺へ通う生活を続けるしかありませんでした。
群馬県では、檀家数が300件を超えると、住職としての生計が立てられるようになる──そんな目安があります。しかし当時の天明寺の檀家数は26件。冒頭の「この寺の住職では食えない」という言葉は、まぎれもない事実でした。

住職になった当初、本堂で「ここをどうすればいいのか」と考える日々でした。先が見えない状態なのに、なぜか不安は思ったほど強くありませんでした。
理由は単純です。天明寺の状態が悪すぎたからです。
この状況なら、何かに挑戦して仮に失敗したとしても、これ以上、大きな損失が生まれようがない。そう思えたのです。言い換えれば天明寺は、何でも試せる環境でした。
逆に、もし最初から安定していたなら、いまの形にはなっていなかったかもしれません。最悪に近かったからこそ、いくつものチャレンジができました。
稲盛和夫さんの「利他」の考えは、仏教と親和性が高い

もちろん当時の私は、天明寺がいまのようになるとは想像もしていませんでした。ただ必死に「自分にできること」を考え続けていました。
その中で最初に取り組んだことの一つが、経営ノウハウの学習です。お寺にも収入と支出があり、成り立ちの根っこは会社経営と同じです。学びが再建につながるのではないか、と考えました。
当時の私は「経営の神様」と称される稲盛和夫さんの本を、何冊も読みあさりました。読み進めるうちに、経営の考え方と仏教の教えには、共通点がいくつもあると気づきました。
稲盛さんが繰り返し語るのは、利他の心です。自分の利益だけではなく、相手のため、社会のために尽くす。その姿勢が、巡り巡って自分にも返ってくる──この感覚は、仏教の教えとも重なります。
(※補足すると、一般に「三方よし(売り手よし・買い手よし・世間よし)」は近江商人の思想として知られますが、稲盛さんの語る利他とも方向性が近く、私はそこに強い親和性を感じました。)
「住職として正しいことを続ければ、経営としても大きく間違えることはない」。そんな確信を、少しずつ持てるようになっていきました。
活路は、“すでにあった関係性”の中にあった

経営哲学や実務的なノウハウを学びながら、やがて私は気づきます。本質は、ノウハウの学習とは別のところにある、と。
もしここをおろそかにしていたら、天明寺を再建できていなかったかもしれない。そう思うほど重要なことです。
当時の天明寺の檀家さんは26件。私はまず、この26件の方に信頼される住職になることに力を注ぎました。
具体的には、春と秋の彼岸に年2回、檀家さんのもとへ伺いました。膝を突き合わせて話をし、困りごとや不安を聞き、できることを探しました。
その中で始めたのが、寺だよりです。近況報告をまとめた「天明寺だより」を、年4回、DMでお送りしました。
きっかけは、「お寺から来る手紙は、寄付やお布施の話ばかりだ」という声を聞いたことです。
多くのお寺は、寄付を募る時にだけ連絡をする。しかし私は、寄付目的ではなく、住職として信頼されるために会う機会をつくり、定期的に手紙を送りました。

とにかく、いま“すでにある関係性”を大切にする。
そうして少しずつ信頼関係が育つと、さまざまな相談が寄せられるようになりました。檀家さんの生の声を聞くことで、天明寺に何が求められているのかを、具体的に認識できるようになっていったのです。
檀家さんの声から生まれた取り組みの一つに、遺骨の預かりがあります。これは現在も続いており、いまも多くの相談をいただいている取り組みです。
困りごとを一つずつ解決していく。すると、需要が見えてくる。さらに、困っている方を紹介していただける──そんな好循環が回り始めました。
先ほど触れたように、群馬県で安定した寺院運営をしていく一つの目安は、檀家300件です。
もし私が「数を増やすこと」だけを目的にしていたら、一時的には増えたとしても、2004年から今日まで、人間関係を紡ぎ、支えていただける天明寺にはならなかったはずです。
新しい出会いはワクワクしますし、大きな期待も持てます。けれど、近くにすでにいる人が、最大のヒントをくれたり、突破口へ導いてくれたりする。私はそのことを、天明寺で経験してきました。
“できていない当たり前”を、当たり前にやる

住職になって実施したことの一つに、天明寺の入口に置いた掲示板の制作があります。
当時の天明寺は、雑草の中に廃屋があるような状態で、お寺としてほとんど認知されていませんでした。だからまず、「ここは寺である」ということが、誰が見てもわかるようにしたのです。
掲示板には「七転び八起き」「継続は力なり」などの言葉を書きました。ボロボロの天明寺の住職として、自分を奮い立たせるために書いていた面もあります。
いま思えば簡易なものですが、あるのとないのでは大違いでした。この掲示板が、天明寺における情報発信と広告の“原点”です。

さらに当初から重視していたのが、檀信徒名簿の管理とお金の管理です。
檀信徒名簿は、檀家さんや天明寺と関わってくださった方をリスト化し、把握できるようにしました。
特に、名簿を細かく分類し、「天明寺に何を求めているのか」「どんなお付き合いを望んでいるのか」を、できるだけ明確に区別するようにしました。
お金の管理では、収支を計算し、何にいくら出ていき、どのくらい余剰があるのかを、いつでもわかる状態にしました。
当たり前に聞こえるかもしれません。しかし、これができていないお寺は少なくありません。こうした管理を丁寧に積み重ねることが、安定した運営の土台になる。私はそう考えています。
天明寺の初期は、「これ以上悪くならない」という状態で、何でも挑戦できる環境でした。けれど、その中で何を選び、何を積み重ねるかが何より重要でした。
私の経験が、これから新たな挑戦をする方の役に、少しでも立てば幸いです。