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2025.10.27
○んでしまえばいい
ジャーナリストの田原総一郎さんが「○んでしまえばいい」って発言して番組ごと消えたって話、最近よく聞きますよね。
自分の言葉で自分の居場所をなくしてしまう、言葉の怖さを象徴する出来事です。
でも、今日言いたいのはそこじゃないんです。今って「死」とか「殺す」みたいな言葉そのものが、どんどん使いづらい世の中になってるってこと。YouTubeでもサムネやタイトルにその言葉を入れるとAIに引っかかって動画ごと削除される可能性があるから、みんな避けてます。
たしかに不快な人への配慮とか、暴力的表現を減らすのは大事。
でも一方で、言葉だけきれいにして現実を見ないようにしてる感じ、ちょっと不自然じゃないですか?
昔のドラえもんでは「殺し屋」が出てきたけど、今は「ころばし屋」って表現に変わってたり。
優しい表現に聞こえるけど、その裏に“ねじ曲げてる感”みたいなのもある。AIの判定もすごいけど、人間の心とか感情とはちょっとズレたところで判断してる感じもあって、なんかドライなんですよね。
本当は「死」ってもっと自然なことのはずなんです。
昔は身近にあって、みんな当たり前に受け止めてきた。でも今は、テレビでもSNSでも「死」という言葉さえ出しちゃいけない雰囲気になってきて、現実にある戦争とか悲しみとか、命の重さに向き合う力まで弱くなってる気がします。
まるで、死がすごく遠いもの、昔の話みたいになってしまってる。言葉を消すんじゃなくて、本当は「死とどう向き合うか」「どう生きるか」を考えるほうが大事なんじゃないかなって思うんです。
タブーにするんじゃなくて、ちゃんと見つめる。そうしないと、人の命も、言葉の重みも、どんどん軽くなってしまう気がします。
※雨上がりに本堂から望む赤城山にたなびく雲の景色です。
※YouTube更新しました
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