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2025.11.25
ネット葬儀業者と派遣僧侶の“二重取り構造”
── 便利そうで実は危険。地域葬儀と何が違うのか ──
近年、インターネットで葬儀を完結できる「ネット葬儀」が増えています。
「家族葬◯万円〜」「すべて込み◯万円」といった広告を見て、
しかし、このネット葬儀こそ、もっとも“不透明”で、“中抜き”が横行している分野です。
■1|ネット葬儀は“二重取り”が基本構造
ネット葬儀業者の収益構造は、非常に単純です。以下のような流れになります。
▷① 施主がネットで注文
「家族葬◯万円〜」という広告を見て電話や葬儀の依頼フォームから申し込む。
※ここで多くの場合、広告の価格では葬儀は収まらない。
▷② ネット業者は“地元の葬儀社”に外注
ネット業者は葬儀を自社で行いません。
施主から受け取った葬儀代の一部をマージン(紹介料)として抜き、残りを地元葬儀社に渡します。
▷③ 僧侶もネット業者が手配
ネット業者は僧侶派遣会社と提携しており、僧侶のお布施からも紹介料を取ります
▷④ 実際に起きるのは「二重徴収」
施主が払ったお金→葬儀社から紹介料
→僧侶から紹介料
両方取られる。つまり、施主のお金が“二重に中抜き”されているわけです。
施主は気付くことができません。
これがネット葬儀の最大の危険性です。
■2|実際には“中抜きの連鎖”が起きている
施主は「ネットで安く頼んだ」と思っていますが、
施主
→ ネット業者
→ 下請け葬儀社
→ 派遣僧侶
という長いルートの中で、いくつもの中抜きが発生しています。
◆ 広告の金額では絶対に葬儀は終わらない
「家族葬〇万円〜」と書いてあるのは
あくまで“最低料金”であり、
火葬料
安置料
ドライアイス
寝台車
手続き代行
会場費
返礼品
お布施これらは別料金です。
結果として、広告の4倍以上になるケースも珍しくありません。
■3|ネット葬儀は「地元の信頼関係」を壊す
ネット葬儀業者が嫌うもの、それは 施主と僧侶の直接のつながり です。
理由は簡単です。
一度でもつながれば、次回の法事はネットを通さなくても依頼できるから、です
利益を失いたくないネット業者は、
僧侶に名刺を渡させない
施主の住所・連絡先を渡さない
相談にも応じないよう僧侶に指示
寺院名を伏せ、宗派だけ伝える
わざと遠方の僧侶を派遣するこうした仕組みを徹底しています。
この結果、施主と僧侶の信頼関係は分断されてしまう のです。
■4|地元葬儀社との関係はまったく違う
ここで比較になるのが、今も私が深く信頼している“地元の葬儀社さん”の存在です。
地元の葬儀社さんは、
「菩提寺がないご家庭が困っている」
「急な葬儀で僧侶がいない」
「事情があって寺と縁を持てない」
こうしたときに、心からの気持ちで
「天明寺さん、お願いできますか」と紹介してくれます。
そこには、マージンなどありません。
◆ 地域の付き合いは“助け合い”が基本
・お菓子を差し入れに持って行ったり
・お祝いの席で包みを渡したり
・困ったときはお互い様で支え合う
この関係は商取引ではなく、自然に続く“人間の縁”そのものです。
ネット葬儀の構造とは正反対です。
■5|ネット葬儀は「便利なシステム」ではなく“信頼を断つ装置”
ネット葬儀は、一見便利に見えるかもしれません。
しかしその裏では、
二重取り
僧侶の使い捨て
地元の寺院との関係断絶
施主が孤立
葬儀の質の劣化
地域社会からの孤立こうした問題が静かに広がっています。
結局のところ、ネット葬儀は“価格を釣り餌”にしながら、施主と僧侶の信頼関係を断ち切る構造になっているのです。
■6|まとめ
ネット葬儀の問題は、たった三つに集約されます。
① “二重取り”による不透明な料金体系
施主のお金が、葬儀社と僧侶の両方で中抜きされる。
② 施主と僧侶の関係を分断する仕組み
寺院の本来の役割が奪われる。
③ 地域の「助け合い文化」を破壊している
人と人の温かい縁が失われる。
私は葬儀の本質は、“価格”でも“仕組み”でもなく、故人を想い、家族に寄り添う心 だと思っています。
その心を守るために、私はこれからも地域のご縁を大切にしながら、真心ある供養を続けていきたいと思っています。
私はこの状況が、宗教者として、そして住職として非常に危ういと感じています。
お布施とは、故人への最後の贈り物です。それをビジネスの調整弁にしてはならない。
これが、私の率直な思いです。