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2026.06.08お知らせ

跡継ぎのいない寺院はどうなるのか?潰れない方法、はあります。だけど…
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2026年6月8日 19:29
お寺が続いていくために欠かせない「跡継ぎ」。少子高齢化や寺離れが語られる中で、後継者問題はいよいよ現実のものとして、多くの寺院にのしかかっています。
結論から申し上げると、跡継ぎがいないからといって、お寺が消えるとは限りません。住職が途絶えても寺を存続させるための方法はいくつかあります。

ただし、潰れない方法は、一時的な延命にしかならない場合もあります。私が住職を引き継いだ天明寺もまた、かつては檀家がわずか26軒まで減り、消えかけた寺の一つでした。
今回は、跡継ぎのいない寺院がこれからどうなっていくのか、そして、潰れないことと続いていくことの違いに触れながら、お寺の未来についてお話します。
目次
- 半分弱のお寺で、後継ぎが決まっていない
- 跡継ぎが見つからないとき、寺がとれる3つの方法
- 跡継ぎが消えた地域では、文化が途絶える可能性も…
- 天明寺の再生を支えた原動力
- 跡継ぎの不在を「やり過ごす」だけではなく、責任ある住職を育てていく
- もう一度原点に立ち戻る
半分弱のお寺で、後継ぎが決まっていない

跡継ぎのいない寺院の未来について考える前に、「そもそも、跡継ぎに困っているお寺がどれくらいあるのか」を整理します。ここでポイントとなるのが、結婚している住職が思いのほか少ないことです。
世間では、お寺は親から子へと当たり前に受け継がれていくイメージがあるかもしれません。しかし実際には独身の住職が多く、そもそも子に継がせるという前提が年々成り立ちにくくなっています。
実際、跡継ぎのいない寺は具体的にどれくらいあるのでしょうか。正確な統計を出すのは難しいのですが、私の暮らす地域の肌感覚をお伝えします。
私が所属する真言宗豊山派で、群馬県の高崎・前橋エリアにあるお寺の場合、住職が住んでいる寺がおよそ30軒、住職が住んでいない寺が10軒ほど、合わせて40軒ほどあります。
このうち、跡継ぎがすでに決まっているお寺は、せいぜい10軒から15軒程度です。つまり、半分弱しか次の世代が定まっていない計算になります。
あくまで私の周辺での概算ですが、全国を見渡しても、おおむね半数程度の寺院が後継未定なのではないかと感じています。
跡継ぎが見つからないとき、寺がとれる3つの方法

では、後継者が見つからない寺は、そのまま朽ちて消えていくしかないのでしょうか。実は寺を存続させるための選択肢が、大きく分けて3つ存在します。
1つは、法類(ほうるい)にあたる寺院から住職を迎えることです。
法類とは、教えや仏法のつながり(法脈)によって結ばれた、僧侶や寺院同士の親戚のような関係(法縁)を指し、後継者に困ったときにはまず頼れる相手にあたります。
2つ目は、寺院同士を統合することです。かつては徒歩圏でしか通えなかったお寺も、車社会になった今は多少離れていても参拝できます。
そのため、本堂が老朽化したり倒壊したりして拝む場所がなくなった寺を、近隣の寺にまとめてしまうのです。いわば学校の統廃合と同じような施策で、歴史的にも前例は珍しくありません。
そして3つ目、今後最も増えていく可能性が高いと私が見ているのが、複数の住職で持ち回り管理することです。たとえば3人の住職が10軒の寺を分担して面倒を見る形で、宗派によってはすでに行われています。
こうした方法をとれる以上、お寺は跡継ぎがいなくても、形のうえでは残り続けることができます。ただし、跡継ぎの不足を乗り越えたとしても、実は次なる問題が待ち受けています。
跡継ぎが消えた地域では、文化が途絶える可能性も…

跡継ぎの不在を解決できても、一時しのぎにしかならないかもしれません。特に、先ほどお伝えした複数の住職で持ち回り管理の体制だと、そのお寺に責任を持つ住職がいないことになります。
住職がいなくなると、何が起きるのでしょうか。檀家さんが一家、また一家と離れ、別のお寺へ移っていきます。お寺との縁が切れていけば、仏教そのものというより、地域全体の信仰心が少しずつ薄れていきます。
すると、お寺を中心に営まれてきた地域のコミュニティが機能しなくなります。法事のような家族の節目も、地域のイベントも減っていきます。
これは空想ではなく、自分自身が天明寺で目の当たりにしてきたことです。
私が住職を引き継ぐ前、天明寺のある前橋市池端町には、お寺は天明寺しかありませんでした。ですから、この地域の人々はもともと、皆が天明寺の檀家だったのです。
ところが、長らく住職が定住していなかったために、檀家さんたちは次々と近くのお寺へ移ってしまいました。その結果、私が引き継いだときには、檀家の数はわずか26軒にまで減っていたのです。
跡継ぎがいないのは、単に一つの寺が機能を失うだけではありません。地域から人の縁が抜け落ち、文化が途絶えていく入り口なのだと、私は実感しています。
天明寺の再生を支えた原動力

では、お寺が潰れないだけでなく地域と生き続けるためには、どうすればいいのでしょうか。私の意見はシンプルで、空いた寺を持ち回りでやり過ごすのではなく、一つひとつの寺に、住職を一人ずつ立てるべきです。
小さな寺であっても、たとえそこに住めない状況であっても構いません。
誰かを住職として立て、「あなたがこの寺の住職です」と、責任ある立場として託す。それが、廃れていく地域を食い止める出発点になるのではないでしょうか。
住職の立場には、ある種の圧力がついて回り、悪い場合にはそれが腐敗につながります。立場に安住し、お寺を私物のように扱ってしまう例があることは、否定できません。

しかし、責任ある立場は、「なんとかこの寺を盛り立てよう」「もう一度活気づけよう」といった気概にもつながります。
これは、ほかでもない私自身が経験してきたことです。私が引き継いだときの天明寺は、檀家がわずか26軒の、消えかけた寺でした。
それでも「自分がこの寺の住職なのだ」という一点があったからこそ、私は逃げずに向き合い続けることができました。その積み重ねが天明寺を回復させる力になったのだと思っています。
もし私が、どこかの寺と掛け持ちで管理していただけの立場だったら。わずかに残った檀家も離れていき、今ごろ天明寺は消えていたかもしれません。
跡継ぎの不在を「やり過ごす」だけではなく、責任ある住職を育てていく

多くの寺院が後継者不足に悩む時代、これからもお寺が地域の皆様を支えていくためには、それぞれの宗派全体として新しい住職を育てていく姿勢が大切だと思います。
育成が一筋縄ではいかないことは承知しています。僧侶になるには修行が伴いますし、誰でもすぐになれるものではありません。間口を広げれば広げるほど、僧侶の質が下がる問題もあります。
「修行ゼロでも「仏教界の代表」になれてしまう。メディアが見抜けない“野良住職”の実態」でも触れたように、安易に資格だけを手に入れ、お寺を金儲けの手段にしようとする人が目立つ現状にも注意が必要です。
それでも私は、門戸を極端に狭めるべきではないと考えています。なぜなら、入り口の時点では志が定まっていなくても、続けていくうちに、だんだんと信仰心を育てていく人もいるからです。
最初から「ふさわしい人だけ」と選別してしまえば、そうした芽まで摘んでしまうことになります。
大切なのは数を絞って延命することではなく、担い手を増やし、一人ひとりに責任ある立場を持たせることです。
小さな寺でも住職として立て、この寺はあなたが守るのだと託す責任感こそが寺を盛り立てようとする気概を生み、ひいては地域を支える力になっていきます。
もう一度原点に立ち戻る

本来、お寺は世襲制を前提としたものではありません。
明治5年(1872年)に出された太政官布告第133号「自今僧侶肉食妻帯蓄髪等可為勝手事(今より僧侶の肉食・妻帯・蓄髪等勝手たるべし事)」によって、それまで厳しく制限されていた僧侶の肉食や妻帯、蓄髪が公的に認められることになりました。
これは、日本の仏教界にとって大きな転換点となった歴史的な法令です。つまり、それ以前は住職が結婚して子どもをもうけ、その子が寺を継ぐ現在のような形は一般的ではありませんでした。

昔は、農家の二男や三男などが寺へ預けられ、僧侶としての道を歩み始めました。これは当時、口減らしの側面もありましたが、同時に仏道を学び、修行を積む機会でもありました。
彼らは師僧のもとで修行を重ね、段階に応じてさまざまな寺院へ移りながら経験を積み、僧侶としての実績を築いていきます。そして、その中で住職となれる者はほんの一握りでした。
こうした歴史を振り返ると、お寺は本来、血縁によって受け継がれるものというよりも、仏教を学び、人々のために尽くし、僧侶としての本分を全うしようとする者が託される場であったとも言えるでしょう。
あえて世襲にこだわらず、「本気で仏教を学びたい」「人のために尽くしたい」「自らの生き方を見つめ直したい」と願う人に住職となっていただくといった考え方も、本来の寺院の姿に近いのかもしれません。
厳しい時代だからこそ、後継者問題に悩みながらもなお地域と向き合い続けている住職の方々と、これからも力を合わせていきたいと思っています。