Column

べんもうコラム

  • 2025.10.21

    自分にとって憎たらしい人の死をどう受け止めるのか?

    村山富市元首相が亡くなり、社会学者・上野千鶴子さんの投稿が話題になっています。

    このニュースをきっかけに、ふと考えてしまいました。

    「憎いと思っていた人や、悔しい思いをさせられた人が亡くなったとき、私たちはどう向き合えばいいのか?」

    「死んでよかった」「あいつのせいで…」と、過去の怒りや悔しさを思い出してしまう人もいるでしょう。でも、よくよく考えると、**その人の言動に心を揺らされ、傷ついていたのは“自分自身”**なんですよね。相手の行動よりも、実は「それをどう受け取ったか」という、自分の感情の反応こそが自分を苦しめていたのかもしれません。

    どんな人にも、“誰かにとっての大切な存在”だった側面がある

    自分にとって嫌な存在だったとしても、その人にも家族や友人、支えてくれた人がいます。

    世間から批判される人であっても、身近な人にとっては替えのきかない大切な存在だった可能性もある。

    人はつい、自分の視点・自分の感情だけで物事を判断してしまいます。

    でも、その視点だけで語ってしまうと、世界はどこまでも「自分中心」になってしまうんですよね。

    日本人はなぜ「亡くなった人を悪く言わない」のか?

    日本では、人が亡くなると自然とその人の冥福を祈る言葉が口にされます。

    それを見ながら、「本音じゃないんだろうな」と感じたこと、ありませんか?

    でも一方で、こうも思うのです。

    本当にその人のことを理解していたのか?

    批判できるほどの関係性だったのか?

    亡くなった人の人生や背景をどこまで知っているのか?

    特に影響力を持つ人の発言には、**“死者への敬意を前提とする責任”**があるのではないか、と感じます。私人が自由に語るのとは違って、言葉が多くの人の心を動かす存在ならなおさらです。

    誰かの死をどう受け止めるかは、結局その人の“心の姿勢”が表れる瞬間なのかもしれません。

    憎しみのまま語るのか

    ひとつの命として敬意を持って見送るのか

    自分の感情とどう折り合いをつけるのか

    どれを選ぶかで、自分自身の生き方も見えてくる気がします。

    みなさんのご意見をぜひ聞かせてください。

    ※YouTube更新しました

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    道路、通り、草の画像のようです